2020-11-27 第203回国会 衆議院 文部科学委員会 第5号
次に、日本芸術院会館は、JRの上野駅駅前、東京都の上野公園内に、文化勲章を受章され日本芸術院会員でもあった亡き吉田五十八氏の設計で、昭和三十三年に建てられています。日本におけるモダンムーブメントの建築百選にも選ばれた立派な建物です。 文化庁の説明によると、会館が建てられている土地は東京都から賃貸で借りているということですが、月額幾らでしょうか。年間の賃料もあわせてお答えください。
次に、日本芸術院会館は、JRの上野駅駅前、東京都の上野公園内に、文化勲章を受章され日本芸術院会員でもあった亡き吉田五十八氏の設計で、昭和三十三年に建てられています。日本におけるモダンムーブメントの建築百選にも選ばれた立派な建物です。 文化庁の説明によると、会館が建てられている土地は東京都から賃貸で借りているということですが、月額幾らでしょうか。年間の賃料もあわせてお答えください。
文化勲章を受章した人やいろんな人が出ています。桜を見る会に呼ばれるのって名誉なことじゃないですか。隠すことじゃないんですよ。シュレッダーに掛ける必要も廃棄する必要もないですよ。堂々と出して、そして、今私が言った質問のように、誰が呼ばれたのか、どんな時代だったのか、後世で検証する必要があるじゃないですか。どうですか。
各党代表、叙勲者、文化勲章者、総理・長官等推薦者、与党推薦者に限り、封筒の蓋に添付してあるシールで封をすることということも指示がされているんです。 この招待区分の表がもうできています。二〇一五年のものには載っています。これを見ますと、両院議長、各党代表、国会議員、これ十なんですね。最高裁などの長官や行政、議会の幹部、知事などが二十。与党推薦者は六十四、六十五。
これ、参考人が衆議院の方で答弁されているんですが、この論文を指導していただいたのはあのかの有名な宇沢弘文先生であるということで、宇沢先生といえば知らない人はいらっしゃらないと思いますが、文化勲章を受けられて、経済学で文化勲章を受けられた方って八十年の歴史で十人しかいないということですから、もう間違いなく日本を代表する経済学者と言ってもいいかと思いますが、この宇沢先生の指導でこの五枚の論文を提出することになったのか
日本では、ノーベル賞が出ると、慌てて後追いの文化勲章が出ることが非常に多いです。逆に言えば、海外から賞をもらうまで、日本で研究者は社会的にありがたがられていません。大半の日本のノーベル賞業績は、びっくりするほど昔に完成された研究が、国内では化石のように眠っていて、海外の後続研究、とりわけ実用化が引き金となって発掘、受賞に至るケースがほとんどなのです。
実は私も、中村教授も日亜化学もよく知っておりまして、先般も中村教授ともお目にかかったわけですが、今回、文化勲章もお受けになって、大分考え方も落ちついてこられたのかなというふうな思いがします。 おっしゃるとおりで、やはり、チームでしっかり頑張ったわけですね。会社としても、それをずっと支えてきた。 とりわけ、さっき、まさに地方からというふうなお話がございました。
続きまして、日本の先端技術についてお伺いしたいと思いますが、昨日も文化勲章受章のときに、山口大臣の地元の中村先生がうれしそうに受章されておみえでした。 このノーベル賞受賞という明るい話題、私の地元の赤崎名城大学教授、そして天野名古屋大学教授、そして山口大臣の地元、徳島大学出身の中村先生が青色発光ダイオードの発明、実用化でノーベル賞を受賞されました。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 突然の御質問でございますが、昨日、文化勲章の、叙勲の関係で皇居に参りまして、そのときにたまたまその話になったわけでありますが、これは、徳川家康が開城して後、天守閣を造るわけでありますが、二代目のときにも新たに造り、三代目家光のときに新たに造ったと、しかし、その後二十年でそれは振り袖火事で焼失をした後は天守閣がなく今日に至ったというふうに承知をしております。
かつて部会で西川副大臣に、そういった食の関係者が、文化的ないわゆる社会のステータスとして余り高いところに置かれていないんですね、いわゆる文化功労賞であるとか文化勲章の対象にはほとんど今までなってこなかったと。料亭の皆さんとお話ししていますと、我々は平安時代から宮中に仕えているんだと。要は千年以上この日本の食という文化を支えてきた。
文科省の中で食というものに対して文化だという認識がなかったと思いますけど、その法律の中で、日本の伝統と文化の日本食というものを子供たちに教育の現場でもしっかりと継承させる、そういうことが書き込まれておりますので、そういう中で文科省の中でも、今回、ユネスコの和食登録という動きの、先生が大変御尽力いただいたわけですが、その一つの認識として文科省の中にできたと思っておりますので、今後、確かに文化功労賞、文化勲章
最後、この前三日の日に、文化の日に、俳優の高倉健さんが文化勲章の授章式でおっしゃっておりました、日本人に生まれて良かったと。私はこの言葉を聞きまして、やはりこの日本をしょっていく皆様方とともに、私もその一人としてしっかりと、もっともっと普通の国民の方々も、皆さんが日本人に生まれて良かったと思われるような政策づくりをやりたいと思っていますので、是非とも皆様方もよろしくお願いします。
先日、我が党の田沼議員が予算委員会で明治の日に関して質問した際、政府参考人から、文化勲章親授式が行われていることなども踏まえ、文化の日の制定趣旨等が理解されるよう努めるとの答弁もございました。 しかし、文化勲章は文化の日が制定される前から存在しており、文化の日と文化勲章は関係ないと存じております。
ただ、十一月三日には、宮中において例えば文化勲章親授式も行われているなど、政府としては、このようなことも踏まえまして、引き続き、国民の間で文化の日の制定の趣旨等が理解されるように努めてまいりたいというふうに考えているところでございます。
また、昨日は、文化勲章を受章されるとのことであります。心から敬意を表し、お祝い申し上げます。 同時に、私が思い起こしましたのは、一九四九年に湯川秀樹教授が日本人初のノーベル賞を受賞され、焼け跡、闇市の中で日本の復興に向けて雄々しく立ち上がっていた日本人に大きな希望と勇気を与えたという歴史的事実であります。
昨日、文化勲章の受章が決まった蜷川幸雄さんや、俳優の西田敏行さん、上方落語協会会長の桂三枝師匠など実に多彩で、第一線で活躍されている文化人や芸術家が多数名を連ねておられます。 去る十月十七日には、人間国宝の野村萬さんやピアニストの中村さんなどが、みずから街頭に出て署名を呼びかけられました。これには大きな反響が寄せられたと聞いております。
先般、スポーツもそうでありますが、ビートたけしというか、北野武さんがフランスで芸術文化勲章、何か最高の、コマンドールというらしいんでありますが、フランスで文化勲章を受章をされて、何かいろんなモニュメントといいますか、彼のモニュメントや絵や、それから、もちろん今度賞を受けられた映画のことも話題になっていましたが、そこで記者会見をされておって、記者会見というか記者さんに感想を聞かれて、彼一流の皮肉もあるんでしょうけれども
○渡海国務大臣 今委員がおっしゃっている意味ですが、文化勲章は、文化功労者、功労賞をもらった方が対象になっている、スポーツ功労者、功労賞をもらった人で文化勲章をもらったということにはならない、ただし、文化勲章をスポーツの関係者でもらった人がいるということであろうと思いますから、対象として、その範囲を文化としてとらえて、過去にも受章者はいらっしゃるわけでございますから、これは可能だというふうに判断をいたします
文化勲章は、「文部科学大臣は文化勲章受章候補者を文化功労者のうちから選考し」というのがあるんですね。これを変えて、文化功労者及びスポーツ功労者のうちから選考しとすれば、選考対象にまず入りますね。選考するかしないかは、またその先の非常に難しい、文化審議会がありますので、非常に厳しいチェックをされるんですが、まず対象に入れるという、これはそんなに難しいことじゃないと思います。
ですから、そうなると、ちょっとここから一つだけ具体的な質問をするんですが、文化勲章というのがありますね。それで、これは大変権威のある勲章であります。聞いてみましたら、この文化勲章は、勲章ですから、勲記と勲章が授与される。それ以外一切何もない。
それで、この本をちょっと読ませていただいたんですけれども、文化勲章受章者の西澤潤一さんという科学者、あるいは地球科学システムの学者であります上野さんという方ですね、この方の本は大変ショッキングな、「人類は八十年で滅亡する」、こういうような本なんですけれども、今のようなお話の中で、メタンハイドレートが崩壊する、そういうことによって空気中に出た、この二酸化炭素が、今〇・〇三六ぐらいのパーセントで大気中にあるということなんですけれども
今回、今までも文化勲章など受章してきましたけれども、ノーベル賞の受賞によって国民が基礎科学研究を大きく支援してくださる声が大きくなったということを強く感じていると。将来の失敗も見越して、研究者のアイデアに思いやりのある国の支援を強く求められたわけでございます。
そのほかに、御質問の内容に関係あるかと思いますのは、私、ノーベル賞の前にも文化勲章を含めて幾つかの賞をいただきました。だけれども、今度のノーベル賞は、今までいただいた賞とは随分周りの国民の皆さんの受け取り方が全然違うというふうに感じております。
ノーベル財団が評価するために、遠山大臣が、文化勲章か何かわかりませんが、後追いでつけているんじゃないですか。 私が言いたいことは何かというと、やはりしっかりした評価システムがないからなんですよ。
そこで、総理も学ばれた慶応の先輩である、先輩というか教授であった文化勲章受章者の永井荷風は、「断腸亭日乗」という日記を書いています。この中で、非常におもしろいことを書いていますね。政府新しきことをたくらむことあれど、何事も利害相半ばするものなりと。効果もあれば副作用もあるということを言っているわけですよ。効果だけねらっても、必ず副作用は出てきますからね。